菅原文太の事務所はどこ?なぜ福岡県福岡市に住んでいたのか?

2014年11月28日に俳優の菅原文太さんが亡くなりました。

 

菅原さんの事務所はどこなのか、また、晩年は福岡で過ごしたとのことですがその理由について調べてみました。


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菅原文太の事務所は?

菅原さんは、早稲田大学時代にモデルをしていました。身長178cmというのは、当時では今では平均よりも少し上程度ですが、当時としては背が高い方ではなかったのでしょうか?

 

1954年に劇団四季に所属して、脇役として出演をしました。大学を中退後、1957年に岡田真澄さんらとともに、日本で初めての男性モデル事務所「ソサエティ・オブ・スタイル」を設立しました。菅原さんが最初はモデルとして生きていこうと思っていたなんてちょっと意外ですよね。

 

モデルをしているときに、新東宝からスカウトされて入社し、映画俳優の道を歩み出しました。1960年に新東宝の経営が悪化して、結局翌年倒産。菅原さんは、松竹へ移籍しました。

 

松竹は、主演を女優が務めることが多かったので、菅原さんは脇役が多かったそうです。それで、俳優の安藤昇さんに勧められて、東映に移籍しました。菅原さんも役者として開花するまで、長い下積み時代を経験していたのですね。

 

その後は、自分で事務所「菅原文太事務所」を設立し、奥さんがマネージャーを務めています。


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菅原文太はなぜ福岡に住んでいたのか?

菅原文太さんがなぜ晩年福岡県福岡市で過ごしたのか、不思議に思いました。いろいろとネットで調べてみたのですが、どこにも書かれていませんでした。

 

ネットの中で同じように疑問に思っている人がいました。

 

おそらく菅原さんは身体の状態が思わしくなく、奥さん一人で菅原さんの世話をするのが大変なので、家族のもとに身を寄せていたのではないでしょうか?

 

菅原さんの娘さんが結婚をして、福岡に住んでるのかもしれません。そうでなければ、山梨には菅原さんの農園がありますし、わざわざ離れた福岡県福岡市に住む理由がないですよね?

→ 菅原文太が山梨の明野で農業を営んだ理由とは?

 

福岡といえば、自分がすぐに思いうかぶのは高倉健さんの生まれ育った場所。でもそれは関係ないと思います。

 

今後、報道の中でその理由が明らかになるかもしれませんね。

 
菅原文太さんについてこちらの記事にも書かれています。

→菅原文太が大型免許なしでトラック野郎を撮影できた理由?刺青は本物?

 


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